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傷ついた話

非常に久しぶりにブログをつけます。いい加減、自分のダメさにも拍車がかかり、今にも人生を棒に振ろうとしている4回生…。17年卒の就職の文字が見え始めてただ部屋の片隅でビビりながらゲームをしています。

記録がてら、文字に起こして残すの癖にしたいので、また再開してなるべく書いていきたい…。

 

先日友達に大正×対称アリスをやってもらって、追体験する形でまた苦しんでいたんですが、その時に、微妙にこの苦しみ方は記憶にあるな、とおもったのでそれを書きます。ネタバレ多分に含みますのでどうぞよしなに。

 

 

私が、乙女ゲーをやっていて、傷ついたり驚いたツートップが「オズマフィア」と「夏空のモノローグ」です。ここで言っている「傷ついた」は、まあ、あまりいい意味ではありません。私は基本的に、人を殴るような話がすきだし、読んだ人を傷つけるような話を書きたいと思っているんですが、これは自分の今持っている傷を他人と共有したいとか、こんな傷があるんだということを知ってもらいたい、ということです。そういう意味で、対アリの各キャラ編はもうドンピシャの作品でした。最高だった。傷つききってボロボロな攻略対象にめちゃくちゃ感情移入したし、そんでその傷をえぐってえぐってえぐりだして膿も全部出し切って、そんで荒療治のように救済していく有栖百合花をものすごく恐れて、そんで愛した…大好きだった…。

一方、上記の2作品についての「傷ついた」っていうのは、ただ、プレイヤーとしての自分がないがしろにされた、という意味での傷ですね。全くの別物だし、何も救わないし、あんまり許容できたもんじゃねぇなと思います。二つともいい作品だとは思うんだけど。

どちらも真相にかかわる部分で躓いたんですが、オズはまず、あの世界のオズ以外のキャラとそして主人公であるフーカがドロシーの創作物っていう部分ですよね。何周も何周もして泣いたり笑ったりしてた子たちはみんな実際には空虚だし、本来そこには何もなかった、みたいな部分ですよね。オズ以外の子たちのルートでは、私はその二人をずっと追っていたし苦悩やら何やらしんどいことを乗り越えて、結ばれて、萌えたし、最中はもちろん一喜一憂したし、最後はよかったねよかったね!って毎回祝福したりしてたのに、結局真相がでてしまえば、ほぼほぼそれには、なんの意味もなかったんですよね…。虚構×虚構です。私がワヤワヤ時間を割いてきたのはなんだったの…。もちろん彼らには自我のようなものがあるし、この世界でいうドロシーは神みたいなものなので、ただの一世界だと思えばいいのかもしれないんですけど、確かに一度プレイヤーはひとつ上の、ドロシーの視点に立たされるんですよ。私が今まで時間をかけて見てきた、ドロシーが作った世界を俯瞰で見させられるんですね。なんだかそれでどうにも虚しくなってしまって。一回視点とか位置が共有されると、プレイヤーとそのキャラはある程度対等になると思うんだけど、ここでドロシーの視点がわかっちゃったがゆえに、現実での「三次元と二次元」みたいなことが起こっちゃったんですよね。物語世界が現実においても勿論大事なものなのなんて当たり前ですけど、それは物語として存在するのが大事で、別に物語世界を最初から「現実」だとは思って接してはないわけですよ。うまく言えてない気がしますが、まあ有り体に言えば、現実だと思ってたものが誰かによって作り出された創作物だった、ってやつです。しかもそれを乗り越えで現実を手に入れる!っていう話ではなくて、そのままそこで生きていくのだっていう話で終わっちゃったようなところが、もうなんで描いたの…と。なんだったの。

私が読んで一喜一憂して萌えてきた、そしてドロシーがどうしても欲してしまったあのフーカの恋物語があって、それを平行世界でもなんでも何度もフーカが体験し、最後、それをフーカもドロシーの閉じ込められた塔に残って二人で共有し、神になったドロシーの孤独を埋めていく、みたいな話の終結だったら、私はこんなに傷つかなかったと思うんですよね。だって、そしたら私が読んできたものには意味があったから。でも結局ドロシーだけが犠牲になって(しかもドロシーは幼い女の子のまま時間が止まっているっていうのもしんどい)、フーカは結局町へ戻っていくって。物語世界、つまりここではフーカの住む世界、ドロシーの作った世界の、少し乱れた均衡はこれでとれたのかもしれないけどどうしたってもう私の視点はその上位段階へ移行してるわけです。オズの子たちのルートはまあ、実体として元から存在している彼らが恋をし救われたりするのは意味があると思うのでいいんです。問題はそれ以外で、攻略キャラも虚構で、フーカも虚構。フーカが恋をしても、ドロシーにうまく共有されてないから、ドロシーの「恋をしてみたかった」「こんな成長した女の子になりたかった」っていう思いも果たされないまま。おとぎ話があっさり解決してめでたしめでたし、って幸せな気持ちで本を閉じて、ハッと本から顔をあげてみたら、現実世界では、部屋はぐちゃぐちゃで、現実では自分の状況も問題ももちろん何も解決してなくて変わっていなくて、物語の中にただ逃避していただけだった、みたいな、なんかそういう、虚さがあった…ただただ虚しかった…。

まあ悲哀が作品のテーマになってるみたいだし、世界観はすごく面白いし、もう一人ただ唯一何も非がないまますべての犠牲になったハーメルンっていうめちゃくちゃかっこいい男がいるんですけど、その描き方をみても、犠牲になるとかその悲しみとかを描きたいのかな、と思うと、こうなったんですかねぇ。うーん。なんかそれでも。見せられたこっちとしては、そこに意味があったのか?っていうのが気になっちゃって。ただ救いとしはかなりプレイヤーの視点に近いキリエが同じ虚しさを共有してくれている、ということですね。これのおかげで物語がなんとかなりたったし、こういう余韻もまあなくはないよね、という気持ちに一応は持って行けた。そもそもこれを、このプレイヤーと共有したキリエの悲しみを、書きたかったって言われたらそうなんだろうなあと思うし。まあでも傷はつきました。まんまと…。

 

夏空もまあ大体似たような話なんですけどね。

物語構造として、1日ループがあって、プレイヤーはそれを繰り返してEDを迎えたら、また1年ループとして1年前に戻るっていう構造です。

これはまあ私の感想?みたいな部分がめっちゃ関係してるのでアレなんですけど特に篠原くんルートで、あんだけ病気をどうしようもない病気として描いて、それもまあ悲惨だしとても悲しいしなんであれを書く必要があったのか、泣きゲーってすごく言われてる話で私もすごく泣いたけど、悲しいから泣いただけで、泣きゲーってそういうものなのかな?って疑問がまずあったんですよね。どうしようもない悲惨さを、何かを批判するディストピア的なもの以外で描いて、そこに何があるんだろう…。私は、泣くなら、つらいっていう部分だけじゃなくて乗り越えた先でも泣きたかったんですよ。泣けなったけど。なんていうか、篠原のこの設定って、プレイヤーをただ泣かせるためだけじゃないのか、っていうのが正直感じちゃったんですよね。それはなんか、その状況からの解決があまりにお粗末っていうか、治らない病気だから、解決なんてどうしようもないんだけど、あんだけ重たい病気や状況を、あんなに心の弱い小川葵が、それも長い人生の中のほんの一部の時間の中で、一時、燃え上がった恋やら愛やらで、支えるよ!って言えるなんていうのもペッラペラに思えて。実体が伴わなすぎた。まあでも、それでも、葵も成長して、未来へ歩んでいこうって心も出来て、これから先どうなるかなんてわからない。これが、私が見たのはこの子たちの一時であっても、本当に永遠の愛として、これから進んでいくのかもしれない。これがはじまりの物語で、この子たちの物語は、その本番は、きっとこれからなんだ、って。そう思うことで、一応、このモヤりを乗り越えたんですよ。それでこの子たちの未来に思いを馳せたわけです。篠原だけじゃなくて、素晴らしい伴侶を得た!って喜んだ部長と葵の未来とか他にも色々。たくさん思いを馳せて、いろいろ考えるわけです。これ、物語の行間を読んで、過去や未来を妄想して、二次創作って形で物語に落とし込んでいくっていうことをずっとやってきた同人女だからからもしれないんですけど。

そうやって、私がのんきにED曲を聴きながら未来に進むと決めた二人の幸せを祈っている間に、もうこの世界では未来なんて本当はなにも存在してなくて、1年ループとして、1年前に戻っていたわけです。ひどくない…?なんにもなかったんだよ私が祈ったその先には。もちろん、こうやって何度もループして前に進んでいこうとする気持ちを自覚はなくても積み重ねたことで1年ループも乗り越えることができたんだっていうのはわかる。わかるんだけど。CP厨からしてみりゃひどい話ですよ。返してくれ…二人の未来と私の祈りを返してくれ…。

これからがはじまりだっていうラストは大好きだし、科学部いとおしいし、メタ構造めっちゃよくできてる控えめにいって神ゲーだとは思うんですけど、引っかかるところは引っかかるんだよな~。本当に純粋な気持ちでCPの未来を祈ったり、私なりに色々考えて乗り越えたりしたのを全部ないがしろにされた気持ちがして、すごく傷ついたわけです。

これに限らず、メタ構造のお話ってすっごく好きなんですけど、本当にうまくやらないと、積み重ねてきたものは全部最終への道具とか犠牲みたいになっちゃうのがあんまりですよね。それが漫画とかアニメとか小説とか、そういうものなら全然アリだと思うんです、そういうのは最終的な到着地点、ゴールがひとつだから。でもゲーム、さらに乙女ゲームっていう世界においては、マルチエンディングって最も大事な世界の理じゃないですか。優遇されてるとか人気があるとかそういうのは取っ払って、各攻略対象がある程度同列で存在していて、それぞれキャラにそれぞれのファンが必ず付いていて、事情はどうあれ全部大事にされるべきだと思うんですよね…。まあそういう意味では夏空は全部無くなって、さっきも言ったけど、「これからがはじまり」なので平等っていや平等ですね。ここに関してはアムネシアとかがひどかったかな?まあ私はウキョ主推しだったからあれにそこまで傷つくこともなかったけど、アムネの話の構造は完全にウキョウルート以外すべてのルートがウキョウルートへの伏線になってるんですよね。まあよく出来た話だと思うし、メタをやるとどうしてもああいう風にはなると思うんですけど。でも自分の好きなキャラのルートが、ほかのキャラのルートのための道具だったのだって、後からわかるっていうのは本っ当にしんどいことだと思うし、優遇されすぎて憎いみたいな気持ちにもなるよ・・・。

でまあ、対アリでこういうことを少し思い出したのは、今まで出てきて、それぞれのルートで乗り越え感情移入して、愛してきた攻略対象のキャラクターたちが、結局、解離性同一性障害、多重人格って形の結末で、もちろん今まででキャラクターとしてそれぞれがすでに確立しているので、それぞれ別のビジュアル、別のCVがついていたのも、全部、本当はなかった、現実にはないものだったっていうところだと思います。多重人格っていうのを乙女ゲームでっていうの、衝撃的なものって考えていくと思いつきやすいようなネタかなって思うんですけど、実際はちょっとそれって本当にやっていいの?って思うような、ブレーキがかからなかったのが、単純にすごいなあって思ってます。

まあこういうのを思い出したとはいえ、対アリは最初から匂わせてはいたし、全部考えて戦略の上にいるっていうのがわかっているので、ないがしろにされてるっていう感じはなかったかな。むしろすごく衝撃といい意味でのしんどさとがあって、このゲーム本当にできてよかった…と思った。プレイヤーでさえ有栖百合花の道具なの、そこまでの引きずり込み方は本当にすごい…。

私はもうずっと、読んだ人に業を背負わせる話を書きたいって言ってるんですけど、まあそもそも私がやろうとしてるのは漫画で、これはプレイヤーって形で強制参加させられてるゲームだから土壌は違うものの、やりたかったことがここにあったな、っていうのが頭鈍器で殴られたみたいな衝撃だったし、何も手につかなくなったし、すごく遅れてから、悔しいっていう感情も生まれました。本当にすごいゲームなんだよ…。

なんだか対アリageのために他sageしたみたいになっちゃってすいませんって感じなんですけど…本当にそういう意図はないですすいません…。どのゲームも私は大好きだし、全部他人におすすめできるクオリティのゲームです。

 

あとついでに。業を背負わせるって意味では、金色のコルダ3が私はすごく衝撃でした。本当に大好きだけど、恐ろしいゲームだったな…。これ、3が出た当初から予定されてたことなのかはわからないんですが、コルダASの函館でニアのルートが出来て、彼女が3本編のような夢をみて、そこで孤独を感じているっていう描写が入ったの、本当にえぐいです。私はニアが大好きだったし、ずっとニアを見てきたつもりだったし、ニアのルートがほしい!ニアかなの恋愛見たい!と言ってきました。能天気にね。それが後出しのように函館が出たことで、メタ的に私が能天気に言ってた裏で、サポートキャラとしてずっとそばにいたはずのニアは孤独を感じていて、私は3の発売から函館に至るまでに全くそれに気づかなかった。一種のもう加害者ですよね、私。しんどかった。愛してたつもりで加害者になってたんだって思ったときゾッとした。まさに業だなって思いました。最高です。

 

まあなんかダラダラ書いたけど、全部愚痴と萌え語りですね…。傷ついたけど、こうやって傷ついた分印象に残っていて、それはそれとしてマーケティングが成功しているのだろうなと思います。だってこういう最後の最後での後出しの真相って衝撃のためにあるし、もろに受けてるってことだもんな、傷つくっていうのは。ありがとうございました。私はそんなも含めて乙女ゲームが好きです。(まとめ)